ダワーさんを抱きしめて

ジョン・ダワーと格闘の日々が再来。また戦後日本・戦後日本・・・とかぶつぶついってる。つまり、プレゼンなんです。題材は彼の書いた「敗北を抱きしめて」。イカス本です。気が向いた部分からリアクションかきます。


ダワーさんによると、堕罪(太宰を一発変換したらこうなる・・・ワードシステム暴走)治人気の理由は、彼の被害者意識が戦後(占領下)日本人の被害者意識に重なって共感を生んだからだって。と言うと、「日本人て暗いよね」という反応がありました。イイよ日本、その暗さ好きだよ!ペシミズム日本万歳!

暗さは美徳であると確信してますが何か?

しかし、その美徳は時に悪影響を及ぼすのだ。
被害者意識・・・というのは他の被害者(中国人その他)を見えなくする。ちょうど思春期のアオい少年少女が自分がこの世でもっとも不幸だと信じるのと同じく。
マッカーサーは日本人を見て「15歳の子供だ」と言った。
低い背丈・童顔もさることながら、メンタルな部分も。
傷つきやすく、引きこもりがちで、ささいな衝撃に対してもすぐキレる、
そして、責任逃れ。
保護者が危なっかしい子供を見守るようなつもりの占領軍。
見下す視線もあった。しかし、愛もあった。
そして、これは私の希望でもあるが。。。
占領軍(アメリカ)は、日本の将来に希望を持っていた。
それは、もちろん「自国の国益のために役に立つだろう」という期待もあっただろうけれど。それ以上に、日本が平和主義という理想をかなえてくれるんじゃないかという純粋な希望もあったことだろう。アメリカでさえ実現できなかった理想主義的内容を憲法に盛り込んだのは、そのためだ。

ところで、日本の被害者意識は本能的責任逃れに起因している。
(ここでいう日本人の被害者意識って、軍閥や欧州(連合国)に対するものというより、確固たる対象のない漠然とした被害者意識だと思う。)
「日本は驚くほど個人主義が定着しない」というようなことを梨木「ぐるりのこと」がいっていた。。個人主義である人は責任も同時に引き受けることができる覚悟を持っている。日本はどうもその個人主義が根付かない。となれば、責任逃れはもう本能というしかない。
こういうのをアメリカでは「弱虫!」と叱りつけるのだろうけど。
それは米がマッチョな社会だからで。はっきりいって弱虫であることと、責任感とは関係ない。
それだったら、日本人は「および腰」だというほうがしっくりくる。
自信たっぷりである必要はない。ただ、責任逃れというのは、卑怯だ。そういう世渡りの上手さは、もう通用しないだろう。
他国と対等に扱われたいのなら(国際社会で意見を言いたいなら)、そういう「および腰」な本能をゆっくりでも変えていく必要がある。
これは実はむずかしい。
ふんぞりかえらないように気をつけながら、しっかり目をそらさずに構える。
慎みぶかく、個人主義
行き過ぎないようにするための、重石として。日本人の「暗さ」が上手く機能してくれるのではないかと・・・おもっている。