再びスタートに戻る

誰に対する言葉を吐くべきかわからないから仮想ターゲットは自分、
・・・ということにしているブログだけれども、
そもそもこの言葉を吐いている主体は自分なのかどうかということが曖昧。
自分が自分に吐くにしてはあまりにも体裁を気にしすぎた、「いい子」な文章になっているようだ。
いい子な文章なんて、自分が読んでも他人が読んでも何ら面白くない。

というようなことをおもっているのでしばらくブログを書いていない。

ターゲットを明らかにすることは自分の正体を明かすこと。
正体を明かすだけの自信がまだ自分にない・・・つまり自分の正体に責任を負う勇気がない時点で、「発信する」権利はないだろう。

というわけで、このブログをどうしようか迷っている。
閉鎖はしないが、移動しようかと思っている。

窪塚について

前に似たようなことを書いた気がするが、やっぱり、もう一度書く。

一言で言ってしまえば「勿体無い」。
自殺騒動など置いといて、とりあえずいろんなとこに起用すればいいのに。

なんだかんだいって私は、俳優窪塚が非常に鼻について・・・いや、素直になろう。本当はとても好きだ。大好きだ。
やっぱり窪塚にしかできない役というのがあり、役なくして窪塚はないと思う。
役とともにあってこそ生きるのが俳優、だとしたら窪塚は完全に俳優だ。
彼の「中身」を埋めるのは思想でも、個性でもなくて、やはり役なんだと思う。

で、窪塚の「中身」を完璧に埋める役は、やはり「若者」の役しかない。「おやじ」の役ではない。
ていうか、「若者」がどうしようもなく魅力的に演じられるのは窪塚しかいない。
「若者」の役ができるうちに、窪塚に「若者」をさせるべきだ。

がんばれ窪塚!私は本気で応援するぜ。



と、再びピンポンを観て思った。
本当は「ピンポン」という映画の完成度について語りたかったのだけど。
思いつくまま感想を描き出しているうちに、一番自分的にひっかかる窪塚問題に来てしまった。
映画自体については改めて書く。

表現のグロい漫画

現在の悩みは。

買いたい漫画があるんだけど買えないということ。
問題は「非常にグロい」という点なんです。
私も昔に比べたらある程度は大丈夫になったんだけど。
まだ越えられないレベルがあります。
ふっきれちゃえばいいのかな。どうやったらふっきれられるのかな。
買ったらふっきれられるのかな?

あーでも買いたい。買わねば!蔵書にせねば!

何で私はグロいのダメなんだろう・・・
そのおかげで触れられる表現の範囲がすごく狭められてる気がして、残念極まりないです。
最近のブームが<レトロで妖しくてホラー>というところにあるので。
グロいのとは別なのかもしれないけど、ウメズとかもまだ読んでません。勿体無い!!

でも、ただ臆病とかいう以上に、何か決定的にグロいのがダメな原因があるっぽい。
何だろう?思いだすのも怖そうだけど。

一つのシーンを見たら、その前後が一瞬で想像してしまうということ。
しかも、最も凶悪なシーンを。
自がネガティブなんでしょうか。

Asahi Art Toilet



(注:アサヒアートスクエアHPトップ画像を転用)

これ、見たことない?

アサヒアートスクエアです。ダンスクロッシングの会場です。
浅草駅から吾妻橋をわたってすぐのところにあります。そんなに高いビルディングもないのに、乗っかってるモニュメントの異様な存在感ゆえ、遠くからでも目につきます。
さいころは、都内に出るたびに母親とバカにしていました。あの「ニョロ」・・・しかも金色とはいかに。
しかもそのニョロを支える土台は、黒い歪んだ箱みたいで。表面はツルリとしていて、窓もない。
見れば見るほど怪しい!!
まさかこの建物に嬉々として入っていく日がくるとは思わなかった・・・。


もっと驚きなのはトイレだ。
一言で言えば「SFからくりオバケ屋敷」。
床は白タイル、ドアは銀色(アルミ?)、何のモニュメントかと思ったら鏡だったり、壁だと思ったらトイレのドアだったり・・・蛇口から水がでない!と思ったらぺダルを踏む式だったりする。
しかも個室トイレのドアをあけてみたらそこは一転!赤の原色ライトが個室全体をレッドに染めているのですよ。アルミの便器にもライトが反射してすっげーヤバイ雰囲気。
怖ーっ!
なんかジャパニーズB級ホラーっていうか。2001年宇宙の旅っていうか、モーヴァン(映画)っていうか・・・・脈絡ないけどなんかそんな感じ。絶対なんか起こるよあれは!
あまりの奇抜さに私でも、入るかどうか躊躇しました。
でも慣れって恐ろしいもので、やけに広くて危ない個室がだんだん面白くなってきて、ヤク中の夢の中みたいだぜー!ヒャッホーウ!などと一人酔ったようにテンションあがってました。

どうやら個室によってライトの色が違うらしく、青のトイレ・緑のトイレとかもあるみたいです。全部で5つあったみたい。他の色は何だろう。黄色とかかな?ウヒョー見てみたかったわーv

それにしても、あそこはトイレの使い方を説明する係員(もちろん学芸員資格あり)が必要だと思いますね。説明するばかりでなく、躊躇したり怯えたりする人に「大丈夫ですよ」と言ってあげるサービスも必要ですね。
何なら私やりましょうか?



侮れないよアサヒアートスクエア。そんなに新しい建物でもないはずなのにあのデザインと前衛性しんじられない。建築家誰なんだろう?
トイレは一見の価値ありです。ただし、心臓の強い方のみ。

吾妻橋ダンスクロッシング 

ダンスを中心としたパフォーマンスイベント。
途中休憩15分をはさんだ2時間、9人の演出家(振付家)それぞれによる短い作品が上演される。パンフレットの言葉を借りれば「ステージ上のコンピレーションアルバム二枚組」、こっちの方が雰囲気が伝わりやすいだろうな。


「ボクデス」を観てみたい!というのが今回のイベントに行く動機だった。実は出演者のなかで知ってるがそれしかなかったんだけど・・・さすがにアタマとトリでした。
いろんなチラシに載ってる「蟹ダンス」の写真から私が勝手に想像したのとはちょっと違っていたようだった。今回だけかな?もっと暗いと思ってたんだけど。意外に音楽重視というか、音楽に合わせてパフォーマンスするという要素が強かった。そりゃあ面白かったけどね。ハエ捕りのダンス(ハエ捕りを持ってピヨピヨしてるの)なんてすごい好きだ!蟹ダンス観たいなあ・・・


他、好きだと思ったのは「康本雅子」と「ぼくもとさきこ」。

康本雅子
ダンス自体はクレイジーで、呪術的、憑き物っぽい。そして早い!ときどき低い声でぼそぼそと言葉(特に意味はないような文章)を発したりする。とこう書くとすごく怪しい感じがするけど、芸術作品として完成していて、とても良かった。
衣装の効果やダンサーの体型、音楽、声それらのパーツがダンスと上手く組み合わさって全体の表現になっているところは、他のアーティストと比べても洗練されていた。短い時間のダンスなのに、2時間ほどの演劇を観たような気分になる。すごい充実。
「おんぶ」っていうのはパフォーマンス的に(視覚的に)ハッとする面白さがあるようです。


※「おんぶ」って、人が人を「おぶる」の幼児語だよね?



「ぼくもとさきこ」
演劇ベースのパフォーマンスで、笑いのツボをついてくる。私は個人的に「脈絡のない会話を真剣にする」ことが好きで、そのくだらなさがツボなのだけれど、それをやってくれたので大ウケ。具体的にいえば・・・
突発的に誰かが「ここは世田谷区じゃない!!」と言って、「じゃあここはどこなんだー!」と誰かが返すの
→ごめん、言葉じゃよくわからないよね。



全体的な感想をいうと、どこが面白いのかとがんばって探してみれば面白がれるパフォーマンスもいくつかあったように感じた。つまり、観る側が気を抜いてると何が面白いんだかわからなくなってきて、冷めちゃうようなもの。私が観劇素人だからかもしれないけど。
まあそれはそれでいいのかもしれない。みんなが評価するパフォーマンス(表現)っていうのも信じられないから。

舞台でも絵画でも、コンテンポラリーアートっていうのはだいたい手放しで「面白ーい☆」「きれーい☆」「かわいー☆」ってことにはならないと思う。具体的な表現じゃないからなのだろうか、観ている側になにやら「不思議」で「不安」な気持ちを抱かせる。
今回、25日昼の公演では「笑える」+「不思議」というのが多かったから、ここで笑っていいのか悪いのかわからないという瞬間がときどきあって私は不安だった。
今はその不安を感じることとかも面白いんだけど、昔まだピュアピュアな児童だったころはその「不安」が「恐れ」と区別がつかなくて、舞台とか観に行くの嫌だったなあ・・・。


まずい、話がそれてきた。

『りはめより100倍恐ろしい』

歯の治療薬が喉にしみます。
苦いし気持ちわるくて、オエッてなって軽く鬱です。


そんな鬱から気をそらすために読んだダ・ヴィンチ(雑誌)で面白そうな新刊を見つけた。立ち読んでみる。普段ならパラ見で飽きるところ、どういうわけか引きずり込まれて立ったまま30分経過。しかもレジに近い棚だ。腰も痛いし、さすがに社会の目も気になってきたので、ついに買ってしまった。
ハードカバーは発売日を前から把握しているものでない限り、安易に買わないと決めていた。しかしそんな掟を軽く破らせるぐらいの魔力・・・というか魔性がこの本にはあったのだろうということだ。
紹介する。



りはめより100倍恐ろしい

りはめより100倍恐ろしい


<いじりはいじめより100倍恐ろしい>
描かれているのは「男子高校生のシビアな泥沼覇権争い」である。

いっき読みできちゃったのは、文章のトーンが軽いからだけじゃない。
実際に私が、これに近い光景を幾度も目にしているから。生生しくて、ゾクゾクする。
いや、最低限の感受性を持っている者ならば、だれでも体験しているはずのことだ。 あの気持ち悪いドロドロな感じ。


そりゃあ中学高校時代に「人間関係で悩む」ことは誰でもあるだろう。発達段階的には当たり前だ。
でもそういう言い方ってアバウトすぎるし、逃げてないか、美化しすぎじゃないかって思う。当事者としては。

「悩み」なんていうよりも、それはもっともっともっと生臭くて切羽詰ったもの。生きるか死ぬかをかけた戦略、謀略である。フルに頭を使う、フットワークも軽くなければならないから体力も使う。生徒たちのグリコゲンのその大半は、勉強でも趣味でもない。クラス、または部活のなかでの覇権争い(身のふりかた)で消費される。
社会のなかで普通に生きたいだけなのに。そのささやかな目的のためには、どんなに純粋で優しかった子も悪魔にならざるおえない。
私にも、忘れてしまいたい汚らわしい記憶の数々がある。


しかし、良くも悪くもヴィヴィットであったことには変わりない。それに、策略と罠に満ちた世界でのサバイバル・・・・・・これは小説にしてつまらないわけがないじゃないか!!

この小説の作者は現役で高校生。
すごい、渦中に身をおきながらそれをパロディ化できる視点。

スピード感あふれる文体だから、私もなんだかノリで自己嫌悪と対峙してしまったみたいだ。暗くはない。けれど、展開に戦慄が走る。腸が蝕まれるような、おぞましさを感じながら、それでも続きを読まずにはいられない。

それにしてもみんな、一度は憧れるよね。 下 剋 上。 

ふふふ。
中高時代、腹に一物ある者は読むといいと思う。
で、たっぷり自己嫌悪を催すのだ。ほら追体験は癒しになるんだって、心理学でも言われてますし。