耽美漫画を本気で語る

漫画に限って、衝動買いして失敗したことがない。
というか、店で目をつけたらネット検索かけて、で面白さを裏付けしてから買ってるからなんだけど。2、3日衝動を長もちさせるのが技術です。
でもまあ実際は、私のお世話になってる本屋は興味の方向性でうまくジャンルわけされてるから、私が見つけたというより、本屋の誘導に従ってるだけなんだがね(苦笑)

最近の漫画ってマジで凄い。
今更いうことじゃないけど、じゃあ改めて言おう。
もはや、私たちは漫画をバカにできないかもしれない。
中高時代に買った漫画とかいっそ全て捨ててしまおうかと思ったほど、ここ数日、漫画に衝撃を受けまくりであります。
その一つめ。


コペルニクスの呼吸」

中村明日美子のデビュー作。
新宿のbook first (かつてABCだった・・・泣)で太田出版フェアと銘打ったコーナーがあったのだが、そこで見かけたもの。表紙とタイトル(しかも私の好きな字体)でころりと落ちました。

以下レビュー。

この作品で耽美漫画の一つの極地を見た気がする。単なるBLとは明らかに一線を画している。残酷さやエロなんかよりもっと深いところにある、哀しさと純粋さを感じる。良くも悪くも芸術は、初めのインパクトが強烈な方が、後の感動が凄い。この作品でのインパクトになるのがエロと少しのグロさなのかなと思う。
はじめは、その強烈な世界観(絵・ストーリー)に恐ろしささえ感じた。どこまで狂っていくのかと。深くどろりとした陰気な沼には底が見えず、考えると怖気が走った。しかし、描写に慣れてくると、その裏にある意味の方に関心が向き、気づいた時にはその沼に引き込まれていた。
登場人物のほとんどは、まあ一般的に見たら異常だ、と思う。いろいろな点で倒錯している。しかしその倒錯さえ、サーカス(団)という非日常のなかではさして不思議なことではあるまい。そして作者の独特な絵は、フランス文学を匂わせるストーリーと、無気味に美しく融合し、その世界観を浮き立たせている。
私のような怖がりやのために書いておくと、絵的ショック度は鳩山郁子のカストラチュラと少し近いものがあると思った。でも内容的にいえば、カストラチュラの方が主人公の精神がしっかりしているし、それぞれがしがらみを克服する話だから、明るめと考えてもいい。それに比べてこの作品は、より暗め、一見救いがなさそうに見える。主人公がふらふらしている。彼が何をしても美しいのは作者の絵の技量であって。でも2巻の最後の辺りで徐々に自己認識がはっきりしてくる展開をみると、それが唯一の救いだなと思う。
先ほど「悲しさと純粋さ」と書いたが、それはこの作品に描かれるのは後悔・絶望・嫉妬であって、けっして憎悪ではないためだ。2巻になるとそれに増して、愛、悲哀、落ち着きを感じる。憂鬱で哀し気な、そしてなぜか静謐な感じがするのはやはり絵(登場人物の表情)のせいもあるだろう。1巻目は極度にマイナス、そのぶん2巻目の中盤あたりにくる一時の温もりで、読者は安心感を覚える。そのギャップを、上手く使ってる。2巻目から最後にかけての展開はまるで映画をみているような気分で入り込んでしまう。
メタファーがちりばめられた詩のようなストーリーだけに、疑問が次から次へと浮かぶから、結果を知りたくて読み進めて行くと。終わってしまう。

(そして私は、一旦本を閉じて、しばらくたったら涙が溢れてきて、しばらく声に出して泣いたのだが。それは、なんだかよくわからない。失わなければならないものに対するミシェルの悲しみと、トリノスが初めて得た精神の安定、レオの予言が叶えられたこと、ミナが立ち直っていたこと、終わった時点での登場人物たちそれぞれが抱える何ともつかない感情。まだ複雑で、解決のつかないもやもや。その気持ちが、最後気が抜けた瞬間に一遍に思い返されたためだろうか。)


中村明日美子、大好きです。。

ちなみに、BGMという話はあまり好きじゃないのですが。今回ばかりは言いたいので言わせてもらいます。
コペルニクスの呼吸」にはエゴラッピンの「憐れみのプレリュード」が似合うのです。アコースティックな様でニューウェイブな様で転調する妖しい3拍子が古い時代のフレンチサーカスを思わせます。

きっと耽美芸術は雰囲気づくりから始まるのでしょう?