おたく:人格=空間=都市

 テレビである程度みていた、というのもあるが、自分が大して驚かなかったということに、驚かされた。
 しかし、よくここまでテーマ性を出せたものだ。こんな雑多な趣味の集合を、言葉で説明てみせてくれた森川嘉一郎氏には感謝しなければならない。

1,オウムとおたく
まず、興味深かったのはオウム事件がおたく文化の形成に影響を及ぼしているという考えかただ。この二つのキーワードを並べられたとき、私なら、関心が自分の内側の世界に向きがち、という点くらいしか関連性を持たせられない。しかし、ここでは、−−−サリン事件によって、心の拠り所だと信じていた宗教や科学の「輝く未来」に若者たちが裏切られてしまった。そのため、現実とそれに地続きの「未来」を期待するよりも仮想現実に「萌え」ることに精神の拠り所を求める若者が増えてきたのだ。−−−という様に説明されていた。
完全に納得とまでは行かないが、このようなとらえ方は(少なくとも私のネットワークにおいては)新しかった。また、オウムにおけるハルマゲドンなどの概念が漫画・アニメなどにみられる終末の図に由来することも指摘されていた。確かに、言葉による情報よりも、実際に目にする情報の方が万人にわかりやすく、個人によるイメージの誤差も少なく、伝達速度も速い。それを考えれば、ハルマゲドンといったときに「ああ、あのことね。」とその様子がありありと脳裏に浮かぶためには、漫画・アニメなど視覚的メディアによる情報伝達が有効なのだろう。

2,犯罪とおたく
また、おたくが異常犯罪と結び付けられるきっかけとなった宮崎事件も少しだけだが触れられていた。おたく=犯罪者はくだらない偏見であると訴えられていた。確かにそのとおりだと思う。しかし、ロリコンなどの嗜好とおたく文化とは、短絡的に考えられた場合に誤解されてしまう可能性があることは認める。

3,韓国の社会派おたく 
私が特に驚いたのは、韓国のおたく文化が社会的に進歩しているように思えたことだ。彼らは「集まる」という習性を生かして、反戦運動まで実行した。
仮想現実でつながった者同士が、現実に出て行き、社会に働きかけようとする。これは、日本のおたくにはなかった現象と思う。現代の日本で「おたく」は、個人的に消費するか仮想現実を(自己満足のために)生産するものだった。その生産が企業(仕事)と結びついた瞬間、かれらは「おたく」ではなくなる。←私の個人的な定義によれば、資本主義の歯車を回す立場になったおたくを「おたく」とは呼ばない。
 
4,彼らの可能性
私は、(いいかたは悪いが)そのように非生産的なおたくたちが、個人主義の壁を超えて集まり、何か建設的な<行動>を起こせば、今までのプロセスでは想像だにしなかった斬新でポジティブなパラダイムの想像さえ可能であると、考えている。それはもちろんおたくに対する偏見もゼロにできる可能性も含めて。その意味で、韓国のおたくの例は私に希望をもたらしてくれた。
私が彼らに期待している理由は、「おたく」は「理想の社会」のヴィジョンを純粋に、そして明確に描くことができるからだ。それは「理想」を再現したヴァーチャルリアリティの世界に長く触れてきた経験により会得された技術だと思う。

例えば、もののけ姫の感動的なラストに「自然と人間は共生できないかもしれないけど・・・歩み寄ることは必要だ」と思い、涙したおたくは数知れない。その時点で、彼らは既に「自然保護の必要性」に気づくきっかけを与えられているのだ。その気づきを一時的なものにしないでほしい。アシタカやサンの努力に触発され、「よし自分もシシ神様の森と仲良くするぞ」思うことで、印刷紙の無駄を極力減らしてみるなど、小さな努力を始めたら、社会に貢献するおたくとして、ポジティブなアイデンティティが生まれてくる。それはもちろん社会的に評価される行為であり、フィードバックがあれば自信にもつながる。
また、例えば、コミケなどジブリおたくが集まる機会に、参加費として一人100円ずつ徴収し、それを自然保護団体への寄付金などにすれば、それだけでも相当な社会貢献ができるだろう。最終的に、これらの社会貢献は、おたくが世の中で認められた存在として正々堂々と生きることを可能にする。


5,まとめと感想
今回の展示から得るものは多かったと思う。新しい見方に触れることもできた。しかし、今ひとつ残念だったのは、明らかに第3者←実際にイタリアのビエンナーレに来た客や、「おたく」について全く知識のなかった人の目線で見ることが、どうしてもできなかったためだ。ビエンナーレの開催中に、イタリーの友人に「OTAKU」を知っているか?今年の日本展はイタリアでどう評価されているか?と聞いてみた。しかし彼女はオタクについても、だいたいそのような展示がされていることさえ知らなかった。やっぱり建築やアート関係の一部でしか話題にならなかったのかな?「OTAKU」と「MOE」はいつ世界の共通語となるのだろう。