ゴッホ展

はじめに言っておくが、特別好きな画家ではない。
ゴッホに関しての記憶といえば、中学校の美術で静物画を描いた際に、背景の一部としてゴッホの絵を模写したということくらい。しかし、美術の授業時間を合計して考えれば最も長く、詳細に意識的にみつめた絵なのかもしれない。
精神病院に入ったこと、耳を切り落とした、自殺・・・などのマイナスイメージから「気の狂った薄幸の天才」というイメージがこびりつき、「ひまわり」など有名な作品でも、裏に何かあるのではないか、と。どうしても負のメッセージを探してしまうのだ。
そのため、ゴッホの絵は直視するのが怖ろしかった。


今回の展示は上手かったのだと思う。ゴッホが好きになれた。
展示から見えてきたゴッホ像は、気の狂った天才ではなかった。
真面目で、勤勉で、不器用なほどまっすぐである。
一つのことに、突っ走ってしまうタイプだった。自閉的な傾向があったのかもしれない。

覚えている限りでまとめると・・・
彼は、敬虔(に過ぎるほど)なクリスチャンであり、牧師になることも考えていた。布教活動に意欲的で(それが行き過ぎて)精神病院に入れられそうになったほどである。
その後、彼は、自分の行き過ぎた宗教性からいかに抜け出すか、もがくことになる。自分の執着心にいかに折り合いをつけるかということに悩みだした時期だ。
そして、パリへ行き、印象派、スーラーらの点描などを真面目に学ぶ。また、ジャポニズムの流行に乗り、浮世絵の技法を学ぶなどする。様々な絵画を模写し、自らの作品に取り込むなどして自分の作風を模索していく。つまり、陳腐な言葉で嫌だけど、自分探しみたいなことをしていたのだろう。
そうこうして、やっとゴッホらしい(「糸杉」にみられるような、「線」を組み合わせた)作風が確立してくるのは、ゴーギャンなど芸術家仲間と作った「黄色い家」にて創作活動を始めたあたりだ。

例の耳たぶ切り落とし事件もこの「黄色い家」で起こったことであるが、私にはゴッホがやっと「自己表現することを自分が許した時期」として、もっとも輝いていたように思える。勤勉で、生真面目で、おまけにネガティブだった彼のことだ。
自らに課していた勉強と模写の繰り返しの日々から(一時だが)自由になった彼の作品は、他と比べても格段にキラキラしている。

ところで私は、数あるゴッホの作品の中でも、星と月が描かれているものが格別に好きだ。
そこに、彼が自らの人生をかけて必死に探しだそうとしていた「明かり」をみる。
夜空に星と月がキラキラしていると、安心する。
それは、暗闇の中でもちゃんと光を見つけたいというゴッホの意志を感じるからだろう。



耳たぶ事件のあと、彼は弟の画商(←多分)テオのもとで創作活動を続けるが、自分の存在が弟の重荷になっていると思い、自殺する。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ享年37歳。


ちなみに、「裏通りの印象主義者」とはゴッホによる命名印象派ブームの中であえて別の新しい表現を探していた芸術家たちをいう。