麦ふみクーツェ

麦ふみクーツェ

麦ふみクーツェ

いしいしんじ作品。
ちょっと前、いろんなメディアで紹介されていた。今読むってのは流行に乗り遅れぎみ、ちょっとダサい。
でも、私はベストセラーだと読む気をなくすから。旬を外して、初めて作品の良さに気づくことが多いのだ。


文庫のカバーをめくると、いしいしんじ本人の写真が拝める。
ちょっとニヒルに左口の端をあげてみた若い村上春樹みたいだ。
まさに「やれやれ」といった表情!

再度言うが、いしいしんじは名前がひらがなだからってオサレ系でも癒し系でもない。児童文学というジャンルに近いが、児童に読ませたら良い意味でトラウマ作りそうな物語だ。



<以下内容の感想>

「ふたご」「ク−ツェ」どちらにおいても、所々で「闇」が扱われた。
「闇」は具体的なかたちをもって表される。
ふたごでは「熊」、ク−ツェでは「(やみ)ねずみ」。ただし、そのかたちは自在に大きくも小さくもなり、ちらばったり、あつまって固まったりするのだが。
得体のしれない「闇」と闘ってみたり、それを受け入れたり、惹かれたり、のみ込まれたりする・・・という要素は、ちょっと「海辺のカフカ」を思いだした。さすが、外見負けしない春樹っぷりである。
まあしかし、物語を創作する態度は、春樹より断然「冷たい」の意味で<クール>だと思う。作者自身も意識してやっているようだけれど、エゴの気配を感じさせない作風である。


そして、「ク−ツェ」でもアイテムが効いていた。

港町
水夫
石畳
楽隊
ねこ
スクラップブック
学校
階段
数学

挙げるとキリがない。こんなに惜し気もなくアイテム披露している割に、嫌味ったらしくならないのが作者のセンス。
さらに、色がすごい。極彩色である。
小説を読んで浮かぶ風景や人物、日用品すべて、特に色の描写がされているわけではない部分でも、なぜかイメージするシーンがみなテーマパークのアトラクションのように、色とりどりに塗られている。


その明るい色・色・色のあふれる中に「闇」が隠れていて、それは気まぐれに現れたり、再びどこかへ隠れたりするのだ。






それにしても、小説でファンタジーはたちが悪いと思う。
漫画や映画など、既にヴィジョンが作られたものに対して、小説では、視覚イメージを想像で補わなければならない。
さらに、読んでいる間は頭の大部分を別世界に飛ばしているわけで。
帰ってくるのにもまたエネルギーがいる。めんどくさい。
完結した小説を読んだ後は、しばらく体が浮遊した状態でおぼつかない。